東武8000系は沿線人口の急増による乗客増への対応と旧形車両の置き換えを目的として開発され1963年に登場、以後1983年までに計712両が製造されました。単一形式でのこの両数は、私鉄の車両では最多でまさに「私鉄の103系」とも呼ばれていました。
2両、4両、6両、8両編成があり、ローカル線区での2両から東上線での10両まで柔軟な運用が可能で、かつては東武鉄道では一番使いやすい車両ともいわれていました。2003年には就役40周年をむかえ、その期間は1両も廃車が出ず、712両を維持してきました。2004年には8連からサハ2両を抜いて3連化された800系と850系が登場し、抜かれたサハ2両が廃車になった結果、この時が8000系初の廃車が出ましたが、それでも東武の主力車両の座を維持していました。
ところが、2007年以降になると本線系への50000系列の増備や、30000系の東上線への転用などから8000系の編成単位での廃車が始まり、ここから8000系の廃車が本格化していきました。野田線(アーバンパークライン)でも10000系列の転入や60000系の新製導入、さらに日光線系統でも20000系列の転用によって廃車が進み、現在では200両を割ってしまっていると思われます。
関東大手私鉄きっての名車と言えば京急旧1000形が挙げられますが、この東武8000系も関東大手私鉄きっての名車だと思います。現在では前面改造車が主に伊勢崎線系統の支線区や東上線北部、アーバンパークラインなどで現役で活躍を続けています。
▲前面が改造されたタイプ。現在残存しているのはこのタイプのみになっていますが、前面のこの形を見ただけではとても老兵には見えませんね。アーバンパークラインには方向幕車もまだ活躍中です。
▲原型の前面スタイル。こちらは東武博物館所蔵の8111Fが動態保存されています。写真は2014/5に東上線100周年の一環で8111・81111編成の特別編成として運用された時のものです。